創業の原点:1994年「大工集団 高橋組」から始まった四方継の揺るぎないものづくりの精神

はじめに

株式会社四方継は、現在「つむぎ建築舎」として革新的な建築技術を提供し、地域活性化事業「つない堂」を展開しています。「人、街、暮らし、文化を継ぎ四方良しを実現する」という理念のもと、様々な事業を手がけていますが、そのすべての源流は、1994年に神戸市で産声を上げた小さな大工集団にあります。

本記事では、当社の創業の歴史を振り返りながら、現在の事業の土台がどのように築かれてきたのかをお伝えします。創業時の経験こそが、今日の私たちの強みであり、お客様への約束を果たすための原動力となっているのです。

1994年、神戸市西区での船出

大工集団「高橋組」の誕生

1994年4月1日、神戸市西区大津和にて、当社の前身となる大工集団「高橋組」が創業しました。代表の高橋剛志は、職人技術への揺るぎない情熱と品質へのこだわりを胸に、この地で事業をスタートさせました。

創業地である神戸市西区は、現在も私たちの活動の中心地です。つむぎ建築舎の本社は神戸市西区池上にあり、地域活動の拠点である「つない堂」もこの地域に存在します。30年以上にわたり、この土地とともに歩んできた歴史が、私たちの地域密着型の事業スタイルを形作っています。

創業当時の建築業界の状況

1990年代は、バブル崩壊後の建築業界が大きな転換期を迎えていた時代でした。大手住宅メーカーが全国展開を加速させる一方で、地域の工務店は厳しい競争環境にさらされていました。そんな中、私たちは「品質」を何よりも大切にすることで、生き残りの道を模索しました。

創業者の高橋は、大工として培ってきた技術と経験を活かし、妥協のないものづくりを追求しました。一棟一棟に真摯に向き合い、お客様の期待を超える仕事をする。この姿勢が、後の事業展開の礎となったのです。

大手特約工務店としての修行時代

厳格な品質基準との向き合い方

創業初期の高橋組は、大手住宅メーカーの特約工務店として活動しました。この経験は、当社の技術力を飛躍的に向上させる重要な時期となりました。

大手住宅メーカーは、全国で均一な品質を提供するため、特約工務店に対して非常に厳しい基準を設けています。施工の手順、使用する材料、完成までの工程管理、そして納期の厳守。これらすべてにおいて、一切の妥協が許されない環境でした。

私たちは、この厳しい環境の中で多くのことを学びました。例えば、木材の選定一つをとっても、含水率や節の位置、木目の方向まで細かくチェックする習慣が身につきました。また、施工中の養生や清掃、近隣への配慮といった、職人としての基本的なマナーも徹底的に叩き込まれました。

現場で培った三つの力

大手特約工務店として活動する中で、私たちは三つの重要な力を身につけました。

一つ目は「徹底した品質管理能力」です。現場でのミスや手抜きは決して許されません。細部にまでこだわる職人の技術と、組織的な品質管理体制を確立しました。毎日の作業終了時には必ず品質チェックを行い、問題があれば即座に対応する。この習慣は、現在の私たちの仕事にも受け継がれています。

二つ目は「標準化と効率性のバランス」です。高品質を維持しながら、決められた時間内に作業を完了させる。これは簡単なことではありません。作業手順を見直し、無駄を省き、それでいて品質を落とさない工夫を重ねました。この経験は、後に開発する規格化注文住宅「sumika(スミカ)」や、高性能なゼロエネルギー住宅の開発につながっていきます。

三つ目は「信頼される技術力の証明」です。大手メーカーに認められる特約工務店としての地位は、私たちの技術力が確かなものであることを地域社会に証明するものでした。「高橋組が手がける家なら安心だ」という評判が、少しずつ地域に広がっていきました。

現場での具体的なエピソード

ある冬の日、特に厳しい寒さの中での施工がありました。木材は温度や湿度の影響を受けやすく、冬場は特に注意が必要です。私たちは、朝から晩まで木材の状態を確認し、最適なタイミングで加工を行いました。手がかじかむ寒さの中、一ミリ単位の精度を追求する。その姿勢が、お客様からの信頼につながったのです。

2002年の転換点:法人化と元請への挑戦

すみれ建築工房の設立

2002年、私たちは大きな決断をしました。有限会社すみれ建築工房を設立し、法人化したのです。代表取締役には高橋剛志が就任し、一般建設業の許可を取得しました。

この法人化には大きな意味がありました。下請けとしてではなく、元請として新築工事を受注する。つまり、お客様と直接向き合い、設計から施工、アフターサービスまでを一貫して担う体制を整えたのです。

元請としての責任は重いものです。工事全体の品質、安全管理、予算管理、そしてお客様の満足度。すべてが私たちの責任となります。しかし、この責任を引き受けることで、本当に自分たちが理想とする家づくりができると確信していました。

設計業務の統合がもたらした変化

2005年には、さらなる進化を遂げました。2級建築士設計事務所の登録を行い、確認申請業務や設計業務を社内で完結できる体制を整えたのです。

この変化は、私たちの仕事の質を大きく向上させました。それまでは、設計は設計事務所、施工は私たちというように分業していました。しかし、設計と施工が一体となることで、お客様の想いをより深く理解し、実現可能性を考えながら最適な提案ができるようになったのです。

例えば、お客様が「明るいリビングがほしい」と希望されたとき、設計者は窓の配置を考えます。しかし、施工を知る者の視点があれば、窓の大きさだけでなく、構造上の制約、断熱性能、メンテナンス性、そしてコストまでを総合的に考えて提案できます。この「設計と施工の融合」が、現在の「木と暮らしをデザイン、実現する技術者集団」としての私たちの強みとなっています。

2003年、リフォーム事業という新たな挑戦

職人による直接施工が生んだ反響

2003年、私たちはリフォーム事業に進出しました。この決断は、当社の歴史において非常に重要な転換点となりました。

リフォーム事業を始めた当初、私たちは「職人による直接施工」という形態にこだわりました。通常、リフォーム工事では、元請会社が受注し、実際の施工は下請けの職人が行います。しかし、私たちは創業以来培ってきた職人技術を直接お客様に提供することで、中間マージンを削減し、適正な価格で高品質なサービスを提供できると考えたのです。

この試みは、予想以上の反響を呼びました。お客様からは「職人さんと直接話ができて安心だった」「要望をその場で伝えられるので、細かい調整がスムーズだった」といった声をいただきました。また、中間マージンがない分、同じ予算でより質の高い材料を使えることも、お客様に喜ばれました。

下請けから元請へ、本格的な転換

リフォーム事業の成功を機に、私たちは営業方針を大きく転換しました。それまでの下請け中心の営業から、元請中心の営業へと舵を切ったのです。

この転換は、私たちの技術力への自信の表れでもありました。創業から約10年、大手特約工務店として厳しい品質基準の中で技術を磨き、法人化によって組織としての体制を整え、そして設計業務も統合した。これらの経験が積み重なり、ようやく自分たちの力でお客様と向き合える準備が整ったのです。

元請として仕事をするということは、お客様との信頼関係を直接築くということです。打ち合わせの段階から、お客様の生活スタイルや家族構成、将来の計画まで深く理解し、それに合わせた提案をする。施工中も、進捗状況や変更点をこまめに報告し、お客様の不安を解消する。そして完成後も、長く付き合っていく。この一連のプロセス全体に責任を持つことが、元請の役割なのです。

お客様とのコミュニケーションの重要性

リフォーム事業を通じて、私たちは「コミュニケーション」の重要性を改めて実感しました。家づくりは、お客様の人生の大きな決断です。不安や疑問があって当然です。

私たちは、お客様との対話を何よりも大切にしています。専門用語を使わず、わかりやすく説明する。お客様の質問には丁寧に答える。時には、お客様が気づいていない問題点を指摘し、より良い選択肢を提案する。このような細やかなコミュニケーションが、信頼関係を築く基盤となります。

現在、つむぎ建築舎では、女性建築設計士と大工が協力してお客様と向き合っています。女性ならではの視点と、職人の技術的な知見が融合することで、より多角的な提案ができるのです。この体制の原点は、2003年のリフォーム事業開始時に培った「お客様との直接対話」の経験にあります。

2009年、無料巡回メンテナンスサービスの開始

建てた後も続く責任

2009年、私たちは新たな取り組みを始めました。「すべてのお客様に生活の安心・安全を」を合言葉に、無料巡回メンテナンスサービスを本格化させたのです。

家は建てて終わりではありません。むしろ、住み始めてからが本当のスタートです。経年による劣化、季節ごとのメンテナンス、ライフスタイルの変化に伴う改修。家を長く快適に使い続けるためには、定期的なケアが欠かせません。

私たちは、自分たちが手がけた家に対して、建てた後も責任を持ち続けたいと考えました。お客様が安心して暮らせるよう、定期的に訪問し、気になる箇所がないかチェックする。小さな不具合でも、早期に発見して対処すれば、大きな問題になることを防げます。

このサービスは、神戸近郊のお客様に限定していますが、多くの方に喜んでいただいています。「定期的に来てくれるから安心」「些細なことでも相談できる関係がありがたい」といった声をいただくたびに、このサービスを始めて良かったと実感します。

アフターサービスの具体例

あるお客様の家では、定期メンテナンスの際に、外壁の一部に小さなひび割れを発見しました。まだ雨漏りには至っていませんでしたが、放置すれば数年後には大きな問題になる可能性がありました。私たちはすぐに補修を行い、大きな出費を未然に防ぐことができました。

また別のお客様からは、「子供が成長して部屋の使い方を変えたい」という相談を受けました。メンテナンス訪問の際の何気ない会話から始まった相談でしたが、家の構造を熟知している私たちだからこそ、最適なリフォームプランを提案できました。

このように、定期的な訪問によって築かれる信頼関係が、お客様の快適な暮らしを長期的に支えているのです。

高性能住宅への挑戦:SUMIKA-ZEROの開発

ゼロエネルギー住宅という新時代

2012年、私たちは大きな成果を手にしました。高性能ゼロエネルギー住宅「SUMIKA-ZERO(スミカゼロ)」が、国土交通省のゼロエネルギー推進化住宅に認定されたのです。

ゼロエネルギー住宅とは、高い断熱性能と省エネ設備によって、年間のエネルギー消費量を実質ゼロにする住宅のことです。太陽光発電などでエネルギーを創り出し、使うエネルギーと相殺する。これにより、光熱費の削減と環境負荷の低減を同時に実現します。

この技術開発は、創業時から続く「品質へのこだわり」の延長線上にあります。1994年に大工集団として始まった私たちが、約20年後には最先端の環境技術を手がけるまでに成長した。この事実は、私たちの学習意欲と技術力の証明でもあります。

創業からの経験が支える革新

SUMIKA-ZEROの開発には、創業以来培ってきた様々な経験が活かされています。

まず、大工集団として木材の特性を知り尽くしていること。木は呼吸する素材です。高い断熱性能を実現しながらも、木の良さを活かす設計には、木材への深い理解が必要です。

次に、大手特約工務店時代に身につけた品質管理能力。ゼロエネルギー住宅では、気密性が非常に重要です。わずかな隙間も許されません。一ミリ単位の精度を追求してきた経験が、ここで活きています。

そして、設計と施工を一体化させた組織体制。高性能住宅は、設計段階から施工の実現可能性を考慮しなければなりません。設計者と職人が密にコミュニケーションを取れる体制だからこそ、理想的な性能を実現できるのです。

次世代への継承:職人育成への取り組み

職人起業塾の開講

2013年、私たちは新たな挑戦を始めました。社員大工のキャリアアップと地域の職人の活性化を目的に、「職人起業塾」を開講したのです。

建築業界は、深刻な職人不足に直面しています。熟練の技術を持つ職人の高齢化が進む一方で、若い世代が職人の道を選ぶことは少なくなっています。このままでは、日本の伝統的な建築技術が失われてしまう。私たちは、この危機感を強く感じていました。

職人起業塾では、技術の習得だけでなく、独立して事業を営むためのノウハウも教えています。見積もりの作り方、お客様との交渉術、経営の基礎知識。職人として自立し、誇りを持って仕事を続けられる環境を整えることが、私たちの目標です。

全国展開への発展

2016年には、職人起業塾を法人化し、一般社団法人職人起業塾として全国展開を開始しました。神戸で始まった小さな取り組みが、全国の職人たちの学びの場となったのです。

全国各地から集まる職人たちと交流する中で、私たちも多くのことを学びました。地域によって異なる建築の特徴、気候に応じた工夫、伝統的な技法。これらの知識は、私たち自身の技術力をさらに高めることにもつながっています。

マイスター高等学院の設立:未来への投資

若い才能を育てる学校

2023年、私たちは最も大きな挑戦に乗り出しました。「マイスター高等学院」の設立です。この学校は、高校卒業の資格を取りながら、大工などの職人技術を身につけることができる通信制高校です。

通常の高校では、学力を重視した教育が中心です。しかし、すべての子供が学力面で輝けるわけではありません。中には、手を動かすことや、ものを作ることに才能を持つ子供たちもいます。そうした子供たちの才能を見つけ、開花させる場所を作りたい。それが、この学校を設立した理由です。

モノづくりの担い手を憧れの職業に

代表の高橋は、「モノづくりの担い手を子供の憧れの職業にする」という目標を掲げています。職人という仕事は、決して楽ではありません。体力も必要ですし、技術を身につけるには時間がかかります。しかし、自分の手で何かを作り上げる喜び、お客様に喜んでもらえる充実感は、何物にも代えがたいものです。

1994年に大工集団として始まった私たちの歩みは、30年後、次世代の職人を育てる教育機関の設立にまで至りました。この歩みは、単なる企業の成長物語ではありません。日本の建築文化を未来へ継承するという、大きな使命に向かう旅なのです。

おわりに:創業の精神を未来へ

1994年4月1日、神戸市西区で産声を上げた小さな大工集団「高橋組」。それから30年以上の歳月を経て、私たちは大きく成長しました。

つむぎ建築舎として革新的な建築技術を提供し、つない堂として地域活性化に取り組み、職人起業塾やマイスター高等学院を通じて次世代の育成に力を注いでいます。事業の規模は拡大し、活動の範囲も全国に広がりました。

しかし、どれだけ成長しても、私たちの根底にあるものは変わりません。それは、創業時から受け継がれる「丁寧なものづくり」への情熱です。

大手特約工務店時代に培った品質へのこだわり、リフォーム事業で学んだお客様とのコミュニケーションの大切さ、そして創業者が大工として持ち続けてきた職人技術への誇り。これらすべてが、今日の私たちを形作っています。

私たちは、これからも「人、街、暮らし、文化を継ぎ四方良しを実現する」という理念のもと、お客様、地域社会、そして未来の世代のために、誠実に仕事を続けてまいります。創業の精神を忘れず、30年後、50年後も、お客様から信頼される企業であり続けることをお約束します。

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